この記事では、「末期の水」の基本的な意味や由来、具体的な作法から、近年増えている「やらなかった」という選択とその場合の心の持ちようまで、疑問や不安に寄り添いながら、分かりやすく解説していきます。
この記事が、少しでもあなたの心の重荷を軽くし、故人様を穏やかに偲ぶための一助となれば幸いです。
末期の水とは? 意味と由来を再確認
末期の水の基本的な意味
末期の水は、故人が渇きを癒し、安らかに旅立てるようにとの願いを込めて行われる儀式です。古くから仏教の教えに基づき、故人への最後の奉仕として大切にされてきました。
現代では、宗教的な意味合いだけでなく、故人との別れを惜しむ家族の心のケアとしても重要な役割を果たしています。
この儀式を通じて、家族は故人との思い出を振り返り、感謝の気持ちを伝えることができます。また、末期の水は、故人の魂が安らかに旅立つことを祈る、象徴的な行為でもあります
現代社会においては、核家族化や価値観の多様化が進み、葬儀の形式も変化しつつあります。しかし、末期の水のように、故人を偲び、冥福を祈るという根本的な思いは、時代を超えて受け継がれていくでしょう。
末期の水の歴史的背景

末期の水の起源は、お釈迦様が亡くなる際に水を与えられたという故事に由来します。この故事が、仏教を通じて日本に伝わり、独自の解釈や習慣が加わって、現在の形になったと考えられています。
仏教の開祖であるお釈迦様(釈迦牟尼仏)が亡くなられる際、喉の渇きを訴えられたという逸話があります。弟子たちが水を探し求めましたがなかなか見つからず、ようやく雪山に住む鬼神が捧げた水をお釈迦様が口にされ、安らかに入滅されたと伝えられています。
この故事が元となり、故人が安らかに旅立てるように、また、あの世で渇きに苦しむことのないようにという願いを込めて、末期の水が行われるようになったと言われています。
日本における儀式の変遷
日本においては、仏教伝来とともにこの風習が伝わり、定着していったと考えられます。古くは、故人が蘇生することを願って行われていたという説もあります。時代とともにその意味合いは変化し、現代では主に故人の冥福を祈る儀式として認識されています。
また、地域によっては独自の風習が残っている場合もあります。例えば、水に樒(しきみ)の葉や菊の葉を浮かべたり、特定の道具を使ったりするなど、細かな作法に違いが見られることもあります。
末期の水を行う深い意味と目的
1.故人の喉の渇きを潤す(物理的な意味合い)
臨終の間際は、体力の消耗や発熱などにより、口が渇きやすくなると言われています。末期の水には、そのような故人の苦痛を和らげ、少しでも楽にしてあげたいという遺族の思いやりが込められています。
実際に飲ませるわけではなく、唇を湿らせる程度ですが、故人の渇きを癒す象徴的な行為として行われます。
2.安らかな旅立ちを願う(精神的な意味合い)
仏教では、死後の世界(冥途)への旅は長く険しいものと考えられています。末期の水には、その旅路で故人が渇きに苦しむことのないように、そして無事に浄土に辿り着けるようにという、安らかな旅立ちを願う心が込められています。これは、お釈迦様の逸話とも深く結びついています。
3.遺族の心のケア、グリーフケアとしての一面
大切な人を失う悲しみは計り知れません。末期の水を行うことは、故人のために何かをしてあげたい、最後まで寄り添いたいという遺族の気持ちを満たし、心の整理をつけるきっかけとなることがあります。故人に触れ、言葉をかける最後の機会として、深い悲しみ(グリーフ)を癒すプロセスの一部となるのです。
4.故人との最後のコミュニケーション
末期の水は、故人と遺族が触れ合う最後の機会の一つです。言葉を交わすことはできなくても、故人の唇を湿らせるという行為を通じて、感謝の気持ちや別れの言葉を伝えることができます。この静かで穏やかな時間は、故人との絆を再確認し、心の中で対話をする大切なひとときとなるでしょう。
「末期の水」は必ず行うべき?やらなかった場合?
「必ず行わなければならないのか?」という疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。結論から言うと、末期の水は必ずしも行わなければならない儀式ではありません。 様々な事情で行わない、あるいは行えないケースもあります。
やらなくてもよいケース
以下のような場合には、末期の水を行わない、または省略することがあります。
• 故人の意思の尊重
生前に故人が「末期の水はいらない」という意思表示をしていた場合(エンディングノートや口頭で伝えていたなど)は、その意思を尊重するのが最も大切です。
• 宗教・宗派による違い
末期の水は仏教的な背景を持つ儀式です。そのため、キリスト教や神道など、他の宗教・宗派では基本的に行いません。また、同じ仏教でも宗派によっては考え方が異なる場合もあります。
• 状況的にできなかった場合
突然の事故や急病で亡くなられた場合、病院に駆けつけたときには既に亡くなられていた場合、遠方にいて臨終に立ち会えなかった場合など、物理的に末期の水を行うことが困難な状況もあります。
• 医療的な判断や病院・施設の方針
感染症のリスクが高い場合や、故人の状態によっては、医療機関や施設の方針として末期の水が制限されることがあります。特に近年では、衛生面への配慮から、病院側が主導して行う場合や、簡略化されるケースも見られます。
• ご遺族の意向
ご遺族が高齢であったり、精神的に大きなショックを受けていたりする場合など、無理に行う必要はありません。
もし末期の水を行えなかったことで後悔や不安を感じてしまった場合、そのお気持ちは自然なことです。何より大切なのは、あなたが故人を想い、心から悼んでいるということです。その思いはきっと故人にも伝わっています。形式にとらわれず、お線香をあげたり、お墓参りをしたり、あなたなりの方法で供養することが大切です。気持ちの整理がつかないときは、専門家に相談することも一つの手段です。
末期の水を行うタイミングと、誰が行うのか

末期の水を行う適切なタイミング
末期の水は、一般的に、医師が臨終を宣告した後、できるだけ速やかに行われます。
病院や自宅など、故人が息を引き取った場所で行うのが一般的です。
臨終後、速やかに行うことで、故人の魂が肉体から離れる前に、最後の別れを告げ、冥福を祈るという意味合いがあります。病院で亡くなった場合は、病院の指示に従い、自宅で亡くなった場合は、葬儀社に連絡して指示を仰ぎましょう。
葬儀社のスタッフは、末期の水を行うタイミングや手順について、丁寧に説明してくれます。また、宗教や宗派によって、末期の水のタイミングが異なる場合もありますので、事前に確認しておくことが大切です。
故人の尊厳を守り、安らかな旅立ちを願うために、適切なタイミングで末期の水を行いましょう。
行う人・順番
末期の水を行う人に厳格な決まりはありませんが、一般的には故人と縁の深い順に行います。具体的には、以下のような順番で行われることが多いです。
- 配偶者
- 子(長男・長女から順に)
- 故人の両親
- 故人の兄弟姉妹
- 故人の孫
- その他の近親者、親しい友人など
この順番は、故人との血縁の濃さや関係性の深さに基づいています。ただし、これもあくまで慣習であり、絶対的なものではありません。その場にいる方々で相談し、故人への想いを込めて行えば問題ありません。
葬儀社のスタッフや、病院によっては看護師が手順を説明しながらサポートしてくれることもありますので、分からない場合は遠慮なく尋ねましょう。
末期の水の具体的な作法・手順と準備するもの
末期の水の具体的な作法・手順と、事前に準備するものについて解説します。地域や宗派によって多少の違いがある場合もありますので、あくまで一般的な例として参考にしてください。
末期の水に必要な道具
末期の水を行う際に準備するものは、主に以下の通りです。
• 新しい筆、または割り箸の先に脱脂綿を巻いたもの
故人の唇に水を含ませるために使用します。新しい筆がない場合は、割り箸の先にガーゼや脱脂綿を白い糸で巻き付けて代用できます。
• ガーゼや樒(しきみ)の葉、菊の葉など
筆や割り箸の代わりに、これらの葉に水を含ませて使うこともあります。樒は仏教でよく用いられる植物です。
• 水を入れる器
お猪口(おちょこ)や湯呑み、小皿など、清潔な小さな器を用意します。通常は普通の水(水道水でも可)を使用します。
• 故人の口元を拭くためのガーゼやティッシュ
唇を湿らせた後、軽く拭き取るために使用します。
これらの道具は、病院や葬儀社が用意してくれる場合もありますので、事前に確認しておくとよいでしょう。
末期の水の具体的な手順
末期の水の一般的な手順は以下の通りです。
1. 準備
故人の枕元(または顔の近く)に、水を入れた器と、筆(または脱脂綿を巻いた割り箸、葉など)を置きます。
2. 合掌・一礼
まず、故人に対して合掌し、一礼します。
3. 水を含ませる
器に入った水に、筆や脱脂綿の先、あるいは葉の先端を浸し、軽く水を含ませます。
4. 唇を湿らせる
水を含ませた筆先などで、故人の唇を優しく湿らせます。このとき、実際に飲ませるのではなく、軽く触れるように湿らせるのがポイントです。
一般的には、上唇から下唇へと湿らせる、あるいは唇の左から右へと湿らせるといった作法がありますが、地域や宗派によって異なる場合もあります。あまり厳密に考えすぎず、心を込めて行いましょう。
「安らかに旅立ってください」「今までありがとう」など、心の中で故人に語りかけながら行うと良いでしょう。
5. 順番に行う
故人と縁の深い方から順番に、同じように行います。一人ずつ、故人との最後の触れ合いを大切にしましょう。
6. 口元を拭く
全員が終わったら、故人の口元に残った水分を、用意したガーゼやティッシュで優しく拭き取ります。
7. 合掌・一礼
最後に、再び故人に対して合掌し、一礼して儀式を終えます。
宗派別の末期の水:神道、キリスト教、浄土真宗
神道における末期の水
神道では、末期の水の代わりに「御湯灌(ゆかん)」という儀式を行うことがあります。これは、故人の体を清める儀式で、湯を使うのが特徴です。
御湯灌は、故人の魂を清め、新たな旅立ちを願うための儀式です。湯を使うことで、故人の穢れを払い、清らかな状態にするという意味があります。神官が儀式を執り行い、家族は神官の指示に従って、故人の体を清めます。
湯の温度やかけ方など、細かい作法がありますので、神官の指示をしっかりと聞き、丁寧に行いましょう。御湯灌は、故人の尊厳を守り、神道の教えに沿った形で故人を見送るための大切な儀式です。
神官の指導のもと、心を込めて行いましょう。また、御湯灌の後には、末期の水を行う場合もあります。神官に確認し、指示に従いましょう。
キリスト教における末期の水
キリスト教には、末期の水という儀式は存在しません。しかし、臨終の際には、聖書を朗読したり、祈りを捧げたりすることが一般的です。
カトリック教会では、終油の秘跡という儀式を行うこともあります。キリスト教では、死は終わりではなく、神のもとへ帰る旅立ちと考えられています。そのため、末期の水のような、肉体的な苦痛を和らげる儀式は行われません。
しかし、臨終の際には、神の言葉である聖書を朗読したり、祈りを捧げることで、故人の魂が安らかに神のもとへ帰れるように祈ります。
カトリック教会では、終油の秘跡という儀式を行うことがあります。これは、司祭が病人の額や手に油を塗ることで、神の恵みを与え、病気を癒し、魂を清める儀式です。
キリスト教の教えに基づき、故人の魂が安らかに神のもとへ帰れるように、祈りを捧げましょう。牧師や神父に相談し、適切な方法で故人を見送りましょう。
浄土真宗における末期の水
浄土真宗では、末期の水を特に重要視しません。しかし、故人の冥福を祈る気持ちは大切であり、静かに手を合わせ、念仏を唱えることが一般的です。
浄土真宗では、阿弥陀如来の救いを信じ、念仏を唱えることで、極楽浄土へ往生できると考えられています。そのため、末期の水のような、死に際の儀式に特別な意味を持たせません。
しかし、故人の冥福を祈る気持ちは大切であり、静かに手を合わせ、念仏を唱えることが一般的です。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、故人の魂が安らかに極楽浄土へ往生できるように祈りましょう。
末期の水を行う際の注意点とマナー
末期の水を行う際には、故人への深い敬意と感謝の気持ちを大切にし、静かで穏やかな雰囲気の中で儀式を行うことが求められます。最も重要なのは心を込めて故人を偲ぶことであり、作法に過度にとらわれる必要はありません。
精神的に辛いと感じる方や小さなお子様などに無理に参加を促すのではなく、見守るだけでもその想いは十分に伝わります。
服装は喪服でなくても構いませんが、派手な色や露出の多い服は避け、落ち着いたものを選びましょう。また、儀式中は私語や騒がしい振る舞いを控え、静粛に過ごすことが望まれます。
病院や施設で行う場合には、必ず医療スタッフの指示に従い、衛生面にも十分配慮してください。写真や動画の撮影は、故人の尊厳を守るため、必ず遺族の許可を得てから行いましょう。
これらのマナーを守ることで、故人に安らかな旅立ちを届けられるはずです。
よくある質問
一般的には、医師による死亡確認後、ご臨終の直後から湯灌や納棺の前までに行うことが多いです。しかし、厳密な期限はありません。ご遺体が安置されている間であれば、ご遺族のタイミングで行うことも可能です。
はい、異なります。末期の水は主に仏教で行われる儀式です。キリスト教では、臨終の際には神父や牧師による祈りが行われますが、末期の水のような儀式は基本的にありません。神道では、「死は穢れ」と捉えるため、臨終に際して水を含ませるという習慣は一般的ではありませんが、地域や神社によっては独自の儀式が存在する場合もあります。無宗教の場合や、故人の意向によっては行わないこともあります。
特に厳格な決まりはありません。一般的には、清潔な水であれば水道水で問題ありません。コップや湯呑みなどに新しく汲んだ水を使いましょう。
故人の意思を尊重することが最も大切です。生前にそのような意思表示があった場合は、無理に行う必要はありません。
多くの病院では、ご遺族の希望があれば末期の水を行うことは可能です。ただし、病院の方針や故人の状態、感染症対策などにより、制限がある場合や、看護師が代行する形で実施されることもあります。
はい、できます。もし末期の水を行えなかったことを気にされているのであれば、例えば、ご遺体が安置されている間に、改めて故人の好きだった飲み物を少量用意し、脱脂綿などに含ませて唇に触れさせる(湿らせる)という形で、気持ちを伝えることは可能です。
まとめ
末期の水は、故人の喉を潤し、安らかな旅立ちを願う、古くから伝わる大切な儀式です。故人との最後の触れ合いを通じて、遺された人々の心を癒す役割も担っています。
しかし、宗教的な理由、故人の意思、あるいは様々な状況から、末期の水を行わない、または行えないという選択も決して間違いではありません。儀式の有無よりも、故人を心から偲び、感謝の気持ちを伝えることが何よりも重要です。
もし、末期の水を行わなかったことで心にわだかまりを感じている方がいらっしゃるなら、どうかご自身を責めないでください。あなたなりの方法で故人を想い、供養することができれば、その気持ちは必ず故人に届きます。
お別れの形は一つではありません。大切なのは、故人への深い愛情と敬意を持ち、そして遺されたあなたが後悔することなく、穏やかな気持ちで故人を見送ることです。もし、判断に迷ったり、不安を感じたりすることがあれば、遠慮なく葬儀社のスタッフや宗教者などの専門家に相談するようにしましょう。
この記事が、末期の水に関するあなたの疑問や不安を少しでも解消し、故人様とのお別れの時間をより心穏やかに過ごすための一助となれば、これ以上の喜びはありません。